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ロベルト・バッジョ

投稿記事Posted: 2012年10月10日(水) 09:57
by らいあん
Name:  ロベルト・バッジョ(全盛期) Roberto BAGGIO
Height/Weight:  174cm/73kg
Birth:  1967.2.18
Nationality:  イタリア
Career:  ピアチェンツァ-フィオレンティーナ-ユベントス-ミラン-ボローニャ-インテル-ブレシア-引退
Dominant Leg:  右
Position:  ST
□攻撃/守備/当た/スタ/スピ/加速/反応/敏捷/
 89 / 41 / 76 / 73 / 72 / 75 / 88 / 80 /
□ド精/ド速/短パ/短速/長パ/長速/蹴精/蹴力/蹴技/FK/曲が/
 96 / 70 / 93 / 78 / 88 / 74 / 94 / 77 / 95 / 92 / 88 /
□頭精/跳躍/テク/積極/精神/プ安/連携/コ安/逆精/逆頻/
 73 / 67 / 98 / 73 / 80 /   / 87 /   /   /   /
*ポストプレイ、司令塔、両足フェイント、PKキッカー、ダイレクトプレー、アウトサイド/C
*ヒーロー、トリックプレイ
*FK/CK/PK担当(FK:B)

■ イタリアの至宝とよばれ、史上最高、もしくは唯一のファンタジスタといっても過言ではない名プレーヤー
長いポニーテールをトレードマークに「ロビー」の愛称でファンから親しまれ、アズーリの青いユニフォームを身にまとい多くの奇跡を起こしてきた。
彼ほどイタリア国民に愛された選手はいない、しかし愛されるが故に嫉妬深いイタリア人監督は彼を嫌い、出場機会を与えなかった。
ジダンは言った「世界で唯一イタリアだけが彼をNO.1と認めなかった。」と
「彼の足から夢(ファンタジー)が生まれた・・・」
それしかいいようのないほど彼のパスは、芸術的でその想像性こそ彼がファンタジスタと言われる所以である。
芸術家がキャンバスに筆を滑らすように彼の放つボールは、綺麗な放物線を描き味方の元へ吸い寄せられていく
フリーキックの名手としても知られ、無駄のないラインを通るボールにキーパーは動けない。
そして「トラップ技術」、一見地味な技術なのであるが、彼の見せるトラップには「夢」を見ているような錯覚を起こす「魔法」がかけられている。
ラネロシ・ヴィチェンツァで期待の若手として注目されていたバッジョは、フィオレンティーナに移籍を果たす。
だが、1~3シーズンの間は右足の怪我のため満足にプレーができなかった
フィオレンティーナで4シーズン目を迎え完全に怪我から復帰し環境にも慣れたバッジョは、背番号「10」を背負い大活躍をする。
その活躍がビッグクラブのスカウトマンの眼に止まらないはずはなく、強豪ユヴェントスに移籍する
このとき、ヴィオラサポーターは大いに悲しみ、彼を放出したクラブを非難した。
1990年にユヴェントスのエースとして迎えられたバッジョは、すでに世界最高峰の選手になっていた
しかし、監督やメンバーとの問題など決して順風満帆ではなかったが
1992年にUEFAカップを獲得すると1994-1995年シーズンには、イタリアカップ、イタリアリーグを制し
1993年にバロンドールを獲得したのだが新星デル・ピエロの出現もあり出場機会を無くしていく。
そして1994年当時のブラジル代表ロマーリオが後に「あの大会はつまるところ俺と奴の対決だったのさ」と言うアメリカWCが開催された。
ロベルト・バッジョ要するイタリアは、予選で苦戦するものの着実に勝利を重ね決勝対ブラジル戦を迎えた。
イタリアとブラジルとの試合は、両チームの良さを消しあう重い試合となったそしてワールドカップ史上初のPK戦へ
5人目としてバッジョがボールを置く、そして彼が決める事を誰もが信じていたのだが彼の放ったボールは空へ吸い込まれていった
ブラジルサポーターの歓喜とイタリアサポーターの落胆の声を背に受けながら疲れきった彼はピッチを後にした。
1995年ACミランへ移籍した彼は、「18番」を背負い新天地での活躍が期待された
95-96年シーズンに2連続でイタリアリーグ優勝を経験、しかし、
96-97年シーズンバッジョの天敵サッキがミランの監督になった事で苦悩が始まる。
バッジョを疎んでいるサッキは彼をベンチに追いやりプレーの機会を与えなかった・・・。
98年フランスWCを目指すバッジョはプレーの機会を求め97-98年シーズン、ボローニャに移籍する。
この年バッジョは自己最多となる22ゴールを決め、バッジョ健在をアピールしアズ-リに名を連ね
WCに出場し2ゴールを決め活躍したがまたもやPK戦で敗れてしまう
優勝したフランスとのPK戦バッジョはきっちり決めたのだがイタリアを救う事はできなかった。
インテルに移籍後、自分をユベントスから追いやったリッピとの衝突やチームメイトとの確執により不遇の時代を過ごす。
2000年、昇格したばかりのブレシアへの移籍で、呪縛は解き放たれる。
当時の監督マッツォーネは、バッジョを戦術で縛らずファンタジスタとして甦らせた。
完全復活を果たしたバッジョは、世界中のファンに自らの勇姿を刻み付けるがごとく、衝撃的なプレーを連発した。
03-04年シーズン引退を決意したロベルト・バッジョは3/17のパルマ戦でセリエA通算200ゴールを達成、
そして今までの敬意を表しイタリアサッカー協会はEURO前の大事な一戦である4/28のスペイン戦に彼を代表に召集し
『ロベルト・バッジョ引退記念試合』にする計らいを見せた。
5年ぶりにアズ-リのユニフォームを身にまとい10番、そしてキャプテンマークを付けプレーし
観客は最後のイタリア代表としてのロビーのプレーに寂しさを感じながら、総立ちで彼を称えた。
そしてセリエA最終節優勝を決めたミランとのサンシーロでのラストゲーム観客はファンタジスタの
最後の雄姿を目に焼き付けるため瞬きをするのも惜しみ彼に声援を送り、後半39分とうとうその時はやってきた・・・。
交代するバッジョに拍手が送られる中一人の選手が彼の所に向かった、マルディーニだ。偉大な二人が抱き合い
バッジョはバッジョコールの中ピッチを後にし引退の決意が固い彼は一度もピッチを振り向く事は無かった。
幼い頃、彼をそばで見ていた恩師はこう語った。
「バッジョは鳥なんだ、戦術という籠に入れず自由に飛ばしてあげてほしい、そうすれば美しい軌跡を描いて空高く舞うだろう」と

Re: ロベルト・バッジョ

投稿記事Posted: 2017年6月07日(水) 11:42
by ストラマー
1992-93

Position:ST

攻撃/守備/当た/スタ/スピ/加速/反応/敏捷/
89/41/76/81/80/84/82/86/
ド精/ド速/短パ/短速/長パ/長速/蹴精/蹴力/蹴技/FK/曲が/
96/85/90/78/88/74/94/77/91/92/82/
頭精/跳躍/テク/積極/精神/プ安/連携/コ安/逆精/逆頻/
73/71/98/77/84/ /79/ 5 / / /


ドリブラー、パサー、PKキッカー、ダイレクトプレー、1vs1シュート、アウトサイド/C
ヒーロー、トリックプレイ、ナンバー10


全盛期ですらカーブはそこまでないかなと。
シュートテクもややバランス的にやや高いと思います。