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トニーニョ・セレーゾ

投稿記事by らいあん » 2012年10月11日(木) 12:58

Name: アントニオ・カルロス・“トニーニョ”・セレーゾ
Antonio Carlos "TONINHO" CEREZO
Nationality: BRAZIL
DOB: 55.4.21
Height/Weight: 181/73
Position: CMF/DMF
Foot: 右
□ アトレチコ・ミネイロ(ブラジル)→ ナシオナル・ド・アマゾーナス(ブラジル)→アトレチコ・ミネイロ(ブラジル) →ローマ(イタリア)→サンプドリア(イタリア)→サンパウロ(ブラジル)→クルゼイロ(ブラジル)→パウリスタ・デ・ジュンジアイー(ブラジル)→アメリカ・ミネイロ(ブラジル)

■ セレソンの中盤、守備面で大きな貢献をした鉄人
豊富なスタミナと冷静な判断で相手の攻撃を潰し、自ら攻撃参加する事も。
「黄金のカルテッド」で知られたブラジル代表時代は、1978年にW杯3位に輝いた。
ジーコ、ファルカン、ソクラテスの多彩な攻撃を支えたのは、ピッチを縦横無尽に走る彼の存在なくしては語れない。

「アトレティコ・ミネイロ」で頭角を表したトニーニョは、守備面、攻撃面で大きく貢献。
アトレティコ・ミネイロ所属していた時は、合計6回の州選手権優勝を経験
その経験、そして実力を買われセリエAのASローマからオファーが舞い込んだ。

1983年、ASローマに移籍。
1983-1984年シーズンにコパ・イタリア優勝の原動力となり
UEFAチャンピオンズカップでは、惜しくも準優勝に終わったが彼の存在感を改めて示す結果になった。
1985-1986シーズンにもコパ・イタリアを制したトニーニョは、サンプドリアからオファーを受ける。

1987年、サンプドリアに移籍を果たした。
彼は、選手として既に世界屈指のMFとして名をはせており、その期待と平行に多くのタイトル獲得に貢献した。
1987-1988年シーズン、1988-1989年シーズンと連続でコパ・イタリアを制すと
クラブに初のスクデットをもたらし、サンプドリアの黄金期を支えた。

1992年、ブラジルに帰国し名門「サンパウロ」へ移籍、しかし、この時彼はすでに37歳。
だが、トニーニョは今までの経験そして鋭い読みを武器にクラブの核として君臨。
1992年にバルセロナ、翌年にミランを下しトヨタカップ連覇をしリベルタドーレス杯優勝も経験。
その後、クルゼイロ、ロサーノ・パウリスタ、アメリカ・ミネイロと3つのクラブを渡り
トニーニョ41歳の時に現役を引退し、鉄人ぶりを見せつけた。

その後、ジーコの後任として鹿島アントラーズ監督に就任
リーグ優勝、ナビスコ杯、天皇杯とチームを3冠に導き監督としても成功を果たした。

□攻撃/守備/当た/スタ/スピ/加速/反応/敏捷/
 76 / 80 / 82 /97 /82 /83 /85 /81 /
□ド精/ド速/短パ/短速/長パ/長速/蹴精/蹴力/蹴技/FK/曲が/
 80 / 81 / 84 /85 /86 /80 /78 /84 /81 /73 /70 /
□頭精/跳躍/テク/積極/精神/プ安/連携/コ安/逆精/逆頻/
 82 / 85 / 84 /82 /77 /  7 / 88 /  8 / 5 / 5 /
*飛び出し、パサー、ダイレクトプレー、マンマーク/B
*カバーリング
*FK(時々)/A
添付ファイル
トニーニョ・セレーゾ.jpg
トニーニョ・セレーゾ.jpg (21.78 KiB) 表示数: 2851 回
らいあん
管理人
 
記事: 1261
登録日時: 2012年6月02日(土) 03:55
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