DOB:1981.05.11 ~
Nationality:Japan
World cup:2010
Number: 28 (Dijon)
Position: LSH RSH WG (OH) (ST)
Height: 175 cm
Weight: 64 kg
Foot: Right
club: 鹿児島実業高→京都→ル・マン→サンテティエンヌ→グルノーブル→トム・トムスク→グルノーブル→ディジョン→スラビア・ソフィア→レヒア・グダニスク→磐田→オードラ・オポーレ→横浜FC→サイゴンFC→Y.S.C.C.→引退
□攻撃/守備/当た/スタ/スピ/加速/反応/敏捷/
75 / 54 / 75 / 78 / 75 / 78 / 73 / 82 /
□ド精/ド速/短パ/短速/長パ/長速/蹴精/蹴力/蹴技/FK/曲が/
86 / 76 / 76 / 74 / 78 / 76 / 69 / 76 / 76 / 70 / 73 /
□頭精/跳躍/テク/積極/精神/プ安/GK/連携/コ安/逆精/逆頻/
68 / 78 / 82 / 76 / 72 / 4 / 50 / 69 / 4 / 8 / 7 /
*ドリブラー、ドリブルキープ、パサー、サイドプレイヤー、アウトサイド、ダイレクトプレー/B
*トリックプレー、逆足プレースキック
*プレイスタイルカード:フェイントスター
*スキルカード:スクープキックトラップなどの基礎技術も高
高いテクニックを基盤に、持ち前のドリブルとトリックプレーが特徴。
2000年に憧れの三浦知良が当時在籍していた京都パープルサンガに入団。プロ1年目からリーグ戦で22試合出場し、プロ初ゴールを挙げるなどの活躍を見せたものの、チームは年間順位で16チーム中15位と低迷しJ2へ降格を経験。2002年には黒部光昭、朴智星らと共にクラブ初タイトルとなる同年度の天皇杯優勝に貢献する。2004年9月1日にフランス二部であるリーグ・ドゥのルマンに2005年6月までの契約でレンタル移籍。松井の加入後、ルマンは2部の中位から一気に1部昇格圏の2位にまで浮上し、その中心となって活躍した松井は、『le soleil du Mans(ル・マンの太陽)』と呼ばれた。レンタル期間終了後、ルマンに完全移籍。確かな技術に裏づけされたトリッキーなプレーでルマンの攻撃陣を牽引し続けた。2007-08シーズン終了後に古豪ASサンテティエンヌへ移籍。序盤はスタメン出場を続けたものの次第に出場機会が減り、出場機会を求めてグルノーブル・フット38に移籍した。しかしクラブは序盤から敗戦を重ね最終的にはリーグ最下位で2部への降格が決定。これを期にロシア・プレミアリーグのFCトム・トムスクに2010年末までの期限付きで加入することが発表。2011年7月27日にディジョンFCOへ2年契約で移籍した。
2004年のアテネオリンピックに参加したが、チームはGLで敗退。ルマンで活躍していた松井は2006FIFAワールドカップの日本代表入りが期待されたが、ジーコ監督の構想外となり直前で落選した。オシムが監督に就任してからは招集されるようになり、岡田監督の下でも招集を受け、2010FIFAワールドカップの日本代表メンバー入りを果たした。全4試合にスタメン出場し、チームのベスト16入りに貢献。大会後、松井にはアトレティコ・マドリーやオリンピック・リヨンなど強豪チームからのオファーが殺到したと報道されたが、トムトムスクへ移籍し肩透かしとなった。フランス代表のサミル・ナスリに「くたばれ糞野朗」と暴言を吐かれたことがある。しかもその時のナスリは17才だった。
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