Name:本田圭佑 (Honda Keisuke)
DOB:1986.06.13 ~
Nationality:Japan
World cup:2010
Number: 4 (National) 7 (CSKA Moscow)
Position: OH/ST/RWG/RSH/(CH)
Height: 182 cm
Weight: 74 kg
Foot: Left
□ Nagoya Grampus→VVV-Venlo→CSKA Moscow→AC Milan→FC Pachuca→Melbourne victory→Vitesse→Botafogo
□攻撃/守備/当た/スタ/スピ/加速/反応/敏捷/
80 / 52 / 83 / 82 / 77 / 73 / 77 / 74 /
□ド精/ド速/短パ/短速/長パ/長速/蹴精/蹴力/蹴技/FK/曲が/
82 / 74 / 84 / 81 / 83 / 80 / 78 / 83 / 77 / 81 / 82 /
□頭精/跳躍/テク/積極/精神/プ安/GK/連携/コ安/逆精/逆頻/攻意/守意/
79 / 76 / 83 / 79 / 82 / 5 / 50 / 78 / 5 / 4 / 4 / 3 / 2 /
*ドリブルキープ、パサー、センタープレイヤー、アウトサイド、(ミドルシュート)、(ダイレクトプレイ)/B
*ヒーロー、FKタイプJ、FK/CK担当
*プレイスタイルカード:ミドルシューター、ライン押し上げ
*スキルカード:無回転シュート、アウトサイド、ルーレット系フェイント
*岡崎、長友と連携高い
中田英寿の後継者にして、金髪をなびかせる日本代表の新司令塔。
あらゆるメディア専門家から「日本代表に不可欠な選手」と評され、彼無くしては日本代表は成り立たない程重要視されている選手。
石川県の星稜高校出身、2004年に特別指定選手として名古屋グランパスの練習に参加。高校卒業に際に2005年シーズンから名古屋グランパスエイトとプロ契約を結んだ。開幕戦から先発出場しアシストを決め、翌年にはレギュラーに定着した。2008年1月にエールディヴィジのVVVフェンローへ完全移籍。加入会見ではオランダ語で挨拶を行い、その日のうちにPSV戦に出場した。以降レギュラーの座を掴むもチームは二部リーグに降格が決定したが本田はチーム残留を決意。2008-2009シーズンのリーグ戦にて本田は攻撃の軸として開幕から首位を独走するチームの原動力となりチームを牽引。リーグ戦計36試合に出場し16ゴール13アシストを挙げて、チームの2部リーグ優勝と1部復帰に貢献。2部リーグにおける年間最優秀選手賞(MVP)を受賞した。2009年-2010年シーズンの開幕戦ではオランダの強豪PSVと当たるも、1ゴール1アシストの活躍で3-3の引き分けに持ち込む活躍を見せた。冬の移籍市場において移籍金900万ユーロ(約12億円)の4年契約でロシア・プレミアリーグの強豪CSKAモスクワへの移籍が決定した。2010年2月24日のUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦1stレグのセビージャ戦がCSKAでの初出場となり、同時にチャンピオンズリーグにも初出場となった。セビージャとのアウェーでの2ndレグでは、前半39分にCL初のアシストを、後半10分にはゴール約30mの位置から決勝点となる直接FKを決め、CL初得点をマーク。2戦合計3-2でCSKAが勝利し、クラブ史上初のロシアリーグ所属チーム史上初となるCLベスト8に貢献した。
代表には2008年6月に開催されたFIFAワールドカップ・アジア3次予選の対バーレーン戦でA代表初出場を果たし、2009年5月27日のキリンカップの対チリ戦でA代表初ゴールを記録した。MFでありながらFWに勝るとも劣らない攻撃的な姿勢は、日本代表の中でも際立つ存在だった。以降日本代表に定着し、その時の日本代表の司令塔であった中村俊輔との確執が噂されるも払拭、2010FIFAワールドカップでは今までに経験の無いセンターフォワードとして全4試合にフル出場。グループリーグ初戦のカメルーン戦では松井大輔のクロスを合わせて決勝ゴールをあげこの試合のMOMに選出された。第3戦のデンマーク戦でもゴールまで約37mの距離から直接フリーキックで先制点を挙げて、岡崎慎司の得点もアシストするなど1ゴール1アシストの活躍でMOMに選出され、日本代表の決勝トーナメント進出に貢献。決勝トーナメント一回戦のパラグアイ戦ではPK戦で敗れるも、その試合のMOMにも輝き、本大会4試合中3度のMOMを獲得した。2012年現在も背番号4番を背負い、日本代表の司令塔として君臨している。