Name:吉田麻也 (Yoshida Maya)
DOB:1988.08.24 ~
Nationality:Japan
World cup:No date
Number: 3 (National) (VVV-Venlo)
Position: CB (DH)
Height: 189 cm
Weight: 81 kg
Foot: Right
□ Nagoya Grampus→VVV-Venlo→Sathanpton
□攻撃/守備/当た/スタ/スピ/加速/反応/敏捷/
62 / 76 / 80 / 76 / 73 / 74 / 78 / 72 /
□ド精/ド速/短パ/短速/長パ/長速/蹴精/蹴力/蹴技/FK/曲が/
70 / 70 / 71 / 72 / 73 / 72 / 65 / 75 / 68 / 60 / 60 /
□頭精/跳躍/テク/積極/精神/プ安/GK/連携/コ安/逆精/逆頻/
81 / 78 / 75 / 70 / 72 / 4 / 50 / 72 / 5 / 6 / 5 /
*なし/B
*ピンポイントパス
*バイシクルシュート
小学校2年生のとき、地元長崎市の南陵FCでサッカーを始める。小学校6年生のとき、兄が見つけた名古屋グランパスのユースセレクションを、家族で名古屋を訪れるついでに受験。家族はもとより本人も合格するとは思っていなかったが、合格したため愛知県みよし市に移り住む(受験者70人中合格は4人であった)。ユース(U-18)時代はキャプテンを務め、選手としてもボランチとして攻守にわたって支える、チームの要といえる存在であった。2006年の全日本ユースではチームを牽引して準優勝に導き、翌2007年にトップチームに昇格した。2007年シーズン開幕前、古賀正紘や秋田豊、角田誠が離脱するなどのチーム事情から、層が薄くなったセンターバックにコンバートされ、第9節大分トリニータ戦で初出場を果たした。2008年シーズン、就任したストイコビッチ監督の信頼を受け、序盤はバヤリツァとともにセンターバックのレギュラーとしてチームを支えた。7月には北京五輪代表に選出。五輪招集により一時的にレギュラーから外れたものの、22試合に出場。第22節鹿島アントラーズ戦では初得点も挙げた。若手中心のメンバーで臨む方針だったアジアカップ最終予選・イエメン戦に向けたA代表に初招集され、この試合でA代表デビュー。この年のオフ、オファーを受けたオランダエールディヴィジのVVVフェンローへ完全移籍。フェンロに移籍してすぐ左足首を骨折し、09-10シーズンは出場がなかった。2010年10月30日の対FCフローニンゲン戦の後半途中から出場し、これがオランダでのデビュー戦となった。試合は3-5で敗れたが、初アシストもマークしている。2011年、AFCアジアカップ2011に臨む日本代表メンバーに選出。フルメンバーでの実質代表デビューとなった1月9日のグループステージ第1節・ヨルダン戦の後半ロスタイムにゴールを決め、代表初得点を記録。続いて、2014 FIFAワールドカップ・アジア予選のメンバーに選出。2011年9月2日に行われた3次予選第1戦北朝鮮戦(埼玉)の後半ロスタイムに先制ゴールを決め、チームの勝利に貢献した。
チーム1のいじられキャラで、内田篤人とあまりにも仲が良すぎる為ホモ疑惑が向けられている。2011年9月2日の2014 FIFAワールドカップアジア3次予選北朝鮮戦でゴールを決めたものの、FIFAの公式サイトには得点者「Michihiro YASUDA」と書かれていた。